「わたしは本当に実在しているのだろうか?」
誰もが少なからずいちどは突き当たる猜疑心だと思われます。目に映るものは全て幻で、それら一つひとつが備えているはずの意味すらも、実際にはそうだと思い込んでいる観念だけにすぎず、この世界すらも実在しているわけではなく、たんに思い込みが築き上げただけの、儚い夢のようなものではないのだろうか。そもそもこうして外界を認識している、わたし、というものじたいが、思想の連鎖が錯覚させる、架空の見地なのではないのだろうか。わたしという存在を立証しようと他者に声をかけ反応を窺ってみる。しかし彼らとその反応じたい、わたしがそうであると思い込んでいるだけの、まやかしの認識なのではないだろうか。
ここで登場することばが「コギト・エルゴ・スム」です。原典はラテン語なので、このカタカナ表記とは大きく発音が異なる可能性があります。ですがこの響きじたい良い感じがするので、この同盟ではこのまま用いることにしました。その意味としては、
コギト | [ cogito ] | = 思う(わたしは) |
エルゴ | [ ergo ] | = だから |
スム | [ sum ] | = 在る(わたしは) |
〜ということになるらしいです。ラテン語というのは、名詞や人称に独自のモラルをもつ言語なので解釈が難しいらしいのですが、一般的にこれは、「我思う故に我在り」と訳されることが多いようです。要するところ、「こうしてアレコレ考えてるんだから実在してるに決まってるじゃん」という定律により、わたしたちの実在性を確保しようという試みだと思われます。
提唱したのはフランスの哲学者(数学者・自然学者)、ルネ・デカルトという人です。それまで彼の時代に主流だった哲学には、宗教的な信仰と理性的解釈が統一された、スコラ哲学というものがありました。そこで彼がおこなったのは、そこから信仰を切り離した、理性的解釈の哲学なのです。これは実用的な哲学として、後の近代哲学へとつながってゆきます。「コギト・エルゴ・スム」という言葉が生まれたのは、彼の第二の主著、「省察」( Meditationes de prima philosophia A.D.1641 )によってです。
参加規定
1)自分の存在に前向きな意志をもった方ならばどなたでも参加できます。惰性で生きているのではなく、現にこうして存在している自分自身の可能性というものを、常に模索するような生き方をする方です。これについては、特に大きな目標を立てて生きているというのではなくとも、常日頃から存在の瞬間々々を大切にしている、というような積極性だけでも構いません。また、このコンセプトに沿った方ならば、商用、アダルトサイトの管理者であっても参加の是非は問いません。
2)自分の存在に否定的な考えをもった方は参加できません。リスカ系(リストカット)サイトや、自殺をほのめかす内容が頻繁に記載されるサイトなどが、この対象となります。
3)あなた自身が、事項1・2のどちらであるかという判断は、あなた自身がおこなってください。この同盟は参加者自身の意識表明にだけ用いられるもので、登録手続きがありません。判断は参加者各自に委ねられるものとします。
規定詳細(リンク方法など)
1)この同盟には参加者リストがありませんので、登録手続きや管理人に対する参加の表明は必要ありません。この同盟のコンセプトを表明したいと思う方々が、各々の意志により当サイトをリンクすることによりそれをおこなうものとします。
2)リンク方法は問いません。このサイトに掲載されるバナーを用いておこなうもの、テキストリンクを用いておこなうもの、または、ブログ内の記事でおこなうものなど、参加者が必要に応じて自由にリンクするものとします。
3)貴サイト内でリンクされる場所、階層を問いません。それがトップページであろうと、コンテンツページであろうと、リンクページであろうとかまいません。参加者が必要に応じた場所にリンクするものとします。
4)この同盟で用いられる各種バナーにより、このページ(http://www.s-sakaki.com/CES/index.html)以外をリンクすることを固く禁じます。
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