アーネスト・ヘミングウェイ(人名 Ernest Hemingway)大好きな作家です。彼の著作は長編ものも好きですが、最も心惹かれるのはその膨大な短編小説群です。その端的明解な描写体に、私はニックをはじめとする数々の主観が見聞きしたものを、まるで自分の思い出に近いかたちで記憶しています。ヘミングウェイを読もうという衝動は、知識欲やら探求欲からくるものではなく、もっともシンプルな意味で道楽だと思います。根底にはヒロイズムがあり、日常的な物、あるいは上流社会的でスノッブな快楽が、まるで気兼ねなく書かれています。読了するのではなく、読んでゆく小説なのです。
アコースティック・ギター(英 acoustic guitar)趣味の一つです。私の執筆パターンとしては、先ず、真剣にキーボードを叩く、行き詰まる、ギターをガシガシ大声で唄う、少し気が晴れる、再び執筆へ、これの繰り返しです。YAMAHAのエレアコAPXを使用。一人で好き勝手に弾き語ってるだけなんで、もう何年も、レパートリーが増えない。
アルベート・カミュ(人名 Albert Camus)『異邦人』で有名なノーベル文学賞受賞作家です。私はこの異邦人も好きですが、彼の著作のなかでは、短編集『転落・追放と王国』に含まれる『追放と王国』の作群が特に好きです。作家自身、転職を繰り返した後に文壇入りした人物なので、いわば文章で書く小説ではなく、自らの知る世界の印象を文章に落とし込む、というような具合に、彼の描く世界には強い説得力があるのです。この選集に含まれる作には、どれも読後に思想の余韻のようなものを感じます。
アンドリュー・ニコル(人名 Andrew Niccol)ユマ・サーマン、イーサン・ホーク、そして駆け出しのジュード・ロウが共演する名作映画『ガタカ』の監督です。この映画は、DNA解析の一般化という、今後人類が問われることとなる運命論をモチーフにしていて、それに対する希望、人ひとりの意思のチカラといったものが描かれているようです。私にはこの運命論というものが、言い訳と服従の正当化だと思えてなりません。用い方はいろいろだけど、如何に用いたかで生涯の成果を大きく変えてしまう気がします。話しが逸れましたが、『ガタカ』は美術的にとても美しい作品です。同監督の作暦には、他に『トゥルーマン・ショー』の脚本などがあります。
ウイリアム・フォークナー(人名 Willism Cuthbert Faulkner)米国のノーベル文学賞受賞作家です。流動する意識の文体とでもいいいましょうか、それはときに難解であり、しかし同調したのなら色濃い情景を体感させます。見地としては、いわば虚時間から見る回想というような、小説特性の有効な利用が行われているようです。問題は和訳により文章の難易度がかなり違うという点。私は『サンクチュアリ』にこれまで三回挑み、三回とも途中で小説を失っています。
ヴィム・ヴェンダース(人名 Wim Wenders)作品世界の眼差しに優しさのみられる映画監督。作品化、とはすなわち、言い得ぬものを、なんらかの形態に纏め上げ伝えようという試みだと思いますが、私はこの監督が行う作品化が好きで、それはきっと、彼の、言い得ぬもの、に強く共感するからなのでしょう。
エリック・セラ(人名 Eric Serra)リュック・ベッソンお抱えの、作曲、兼、音楽プロデューサーです。私は毎年夏場になると、映画『グラン・ブルー』のビデオテープ、そしてこのサントラCDのハードローテーションがはじまります。お蔭でこのテープは伸びてしまい、ところどころ影像が歪むほどです。私は、この映画を観ると必ず海の幸スパゲティーが食べたくなるのですが、そんな印象も、すべて彼、セラの音楽のなかに溶け込んでいるのです。
遠藤浩輝(人名)最近連載の終了した『EDEN』を代表作に持つ漫画家です。18巻完結のこの『EDEN』ですが、はじめの3巻くらいまで凄まじく面白いです。その後巻を重ねるごとに失速していきます。けれどそれを鑑みてもやはり面白いです。マザーユニバースとチャイルドユニバースの間に情報が橋渡せるというのは頂けないけど、エンノイアの抵抗には共感できるし、ニーチェも人間は自らを克服するべく或るものであるって言ってるし。短編の完成度はどれも高いです。
オービタル(グループ名 Orbital)テクノミュージックの本質とはやはりそのグルーブであり、魅力は反復からの発生、展開にあるように思えます。このオービタルですが、その点でも、そしてその部分で躍動するメロディーにも私は激しく扇情されます。フェイバリットアルバムは『The Middle Of Nowhere』。三曲目の『KNOW WHERE TO RUN』では、私自身、かなりドッカにいってしまっているようです。
大江健三郎(人名)ノーベル賞受賞も記憶に新しい日本人作家です。やはりそれも伊達ではない、というのが正直な思いです。私は初期の短編集、『飼育・死者の奢り』、そして長編『芽むしり仔撃ち』などをいまでもときどき読み返します。最近気がついたのですが、この『芽むしり仔撃ち』、導入からパラグラフの書き出しが、それから、そこで、しかし、それにしても、それは、と続きまるで怖いもの知らずです。大江という作家は、たとえ長文がつづいたとしても、そこに強い接合性を維持できる作家なのですが、その饒舌的文体には彼独自のモラルがあるようです。私としても、そういった彼の独自性は尊敬に値します。しかし気になるのは、主観が偏執的なまでに主観的観察しかしないこと。それは読み手と主観を結びつける常套的手段なのだけれど、徹底されると、主観の人格が完全に排他的であるとでもいうような、息苦しさを感じてしまいます。それとモチーフ。初期作から常にゴシップ的環境の体感を核にしているともいえなくもない、と微妙なラインを選んでいるように思えます。読み手の興味を引くのは上手いが、読後に新しい発見がないというか、思想性の弱さが目立つのです。
押井守(人名)アニメーション監督。私は子供の頃に『天使のたまご』を深夜番組で観たときに、なんかよく解らないけどこれは凄い、なんて思ったことをいまでもはっきり覚えています。どの作品にも独特の物悲しさを感じます。そのトーンや細部にわたる描画の妙、また引用される膨大な文献など興味は尽きません。『スカイ・クロラ』も良かったな。


カール・セーガン(人名 Carl Sagan)いまとなっては故人となってしまいましたが、思想的にも優れた人物であり、作家であり、やはりその本質として物理学者であった人です。「学者と娼婦は楽しんで稼ぐ」などといわれるように、未知への探求は人々を魅了して止みません。しかし彼の活動の多くは、探求より寧ろ伝道師としての部分にあったようです。私もときどき思います、地球は膨大な宇宙空間に含まれる微細な一点でしかないのに、まるでそのことを感じもせずに暮らしている人々があまりにも多いことを。それが何かしらの不自由を産む訳ではないし、日常だけを見て過ごす生涯が劣っているというのではないのだけれど、やはりそこには、どこか歯痒い思いを知るのです。
カキフライ(品名)お弁当などで冷めたものにはタルタルソースが合うようです。揚げたてアツアツで肉付きに量感のあるものには、醤油を薄く掛け齧りつきましょう。鉄分も豊富な私の大好物です。世界の三大珍味なんてクソ食らえ。
ガジュマル(科目)多幸の樹とも呼ばれ、沖縄では、妖精キジムナーを宿らせれば幸福になれるとも伝えられている、いわば熱帯樹です。幹や枝先から気根と呼ばれる根を垂らし、これが地にとどくと支根となり、他の樹木や岩などに絡むように成長し、全長は最も大きなもので、25mほどまでになるようです。観葉植物としては、根上がり植えにされる根の形状が個性的で、葉は厚く光沢があり、また丈夫で育て易いです。アンコールワットの寺院を締め上げていることでも有名。私は大小20株近く育ててます。
カフェイン(品名)カフェイン中毒です。アルコールを断っている時期は特に摂取します。香りのためにドリップで落としたものにインスタントの顆粒を加えて、濃くしたものをステンレスボトルなどで飲みます。砂糖は滅多に入れません。このコーヒーに限らず、甘い飲み物は好きじゃないです。
カプチーノ(品名)ああ。初めてコーヒーにシナモンを入れた人を称えたい。初めてコーヒーにシナモンを入れた人がまさにコーヒーにシナモンを入れようというその瞬間にタイムスリップし、初めてコーヒーにシナモンを入れたその直後、彼の肩を叩き、ブラボー!ブラボー!とブラボー踊りをしてあげたいです。同行者募集。ホーキング博士は時間順序保護説を説くけど。
カレー(品名)ルーなしでスパイスから作ります。失敗するときもありますが、いろいろレパートリーもあります。野菜だけで出汁を採る野菜カレーが得意です。ホールトマトをベースに作るバターマサラも好き。市販されてるレトルトでは、『銀座カリー』の中辛が好きです。マルシェ派ではないです。
君がいた夏(作品名 STEALING HOME)主人公ビリーの回想を軸に展開する美しい物語です。ヒロインには年上の従姉ケーティーとして、若き日のジョディー・フォスターが好演しています。私は自身の生い立ちに父権の欠落というのがあるのだけれど、この作品でも失われてしまう父親、そしてその父親像に感銘を受けます。全体として、少年期の淡い恋の記憶、と言い切ってしまえばそれまでですが、私はこの作品が大好きだし、これからも観つづけてゆきます。サントラも素晴らしい。ポイズンアイヴェーェェェエ!
魚肉ソーセージ(品名)まったく素晴らしい食品です。その保存性もさることながら、三大栄養素と言われる、炭水化物、たんぱく質、脂肪のバランスも理想的で、フィルムを剥がすだけですぐ食べることもできます。玉葱やピーマンと炒め合わせても美味いです。ブラックペッパーで香ばしくしてね。
キリン(科目)私が動物のなかで一番好きなのがこのキリン。二番目はウニ。
クエンティン・タランティーノ(人名 Quentin Tarantino)なんなんでしょうかこの男。かなりタコみたいです。私が彼を絶賛する理由は、やはり映画『パルプ・フィクション』にあるのだけれど、『ジャッキー・ブラウン』や『キル・ビル』などにはときとして退屈を感じるということもあり、そこらへんなんだか微妙です。彼は演出の妙、というのではなく、構成、キャスティングにこそその手腕を揮うようです。『パルプ・フィクション』を見ただけでも、俳優それぞれの魅力が上手く引き出されていると感じますし、その遣り取りではなんど観ても笑います。余談ですが、あなたは彼が俳優として出演する、映画『ジョニー・ディスティニー』を観たことがあるでしょうか。そう。彼がそのジョニー・ディスティニーなのです。雷を帯び、ベガスのプールから表れるのです。夢見そうです。
幻想文学(用語)ボルヘスやカフカ、マルケスの根底にあるものなどがこれにあたるのでしょうか。軽率に踏み込むと安っぽいファンタジーとされそうだし、けれど作家のイメージが最も反映され易く、また、それこそが作品の真価を決めるかもしれないくらい重要な要素となります。絵画に例えるならば、見慣れたものは見る側の経験知識により判別され易いが、常識的でない状態をデッサンしようとする場合、それは見る側の想像力と上手く同調していなくてはならないであろうし、描きあげるのにも一層の画力が必要とされます。このように難しい分野ですが、作家に与えられる自由度に制限はないし、またそこに含ませることのできる寓意は計り知れません。書き手としての私にとって、現在最も興味深いのが、この幻想文学です。
コールドプレイ(グループ名 coldplay)英国のロックバンド。オアシスのノエルに言わせると、レディオヘッドの功績は評価しなくてはならなく、コールドプレイと彼らオアシスの功績は同等なのだそうだ。なんだか妙に説得力がある。このコールドプレイ、私の場合はアルバムを買い次ぐたびに少しずつ好きになり、いつのまにかプレイリストの上位に食い込んでいたという感じ。一目惚れってのではなく、付き合ってゆくうちにすっかり良くなったというところ。2ndの「A Rush of Blood to the Head」が特に好きだ。


サイバーパンク(英 cyberpunk)最近ではめっきり聞かなくなり、単語としては死語の部類でしょうか。しかし私は大好きです。早く『ニューロマンサー』映画化しやがれ。
砂漏は蜂鳥の溺死体に何を遣るか(作品名)私が最初にウェブ掲載することとなった小説です。実験的で、特殊な文体を用い、一切の語りを廃し、主観意識の陳列と正確な時間進行に挑んでいるつもりです。まだまだ調整が必要ですが、私はこの文体を手懐けるつもりでいます。初稿脱稿 2001,10,25 。約22000字。
ジェーン・カンピオン(人名 Jane Campion)名作「ピアノ・レッスン」一作で黙り込んでいる女流映画監督。もともとTVドラマ女優として有名だった主演のホーリー・ハンターがその後振るわなかったのと同じく、一発やかもしれない。たった一作のこの映画は、前編にわたり繰り返し流れる、マイケル・ナイマン作曲の「楽しみを希う心」が美しい作品。子役だったアンナ・パキンは女優となり活躍中。サム・ニールはいつも情けない役。映画は女性ならではの感覚的で繊細な眼差しで描かれている。
シックス・バイ・セブン(グループ名 six by seven)英国のギターロックグループです。サイケデリアなどと分類されることもあり、ノイジーであり、うねるようなグルーブ感を持っています。アルバム構成の中には、それでいて必ず数曲メローなものが含まれていて、そこでは複雑から明確に抜け出すような開放感が強く感じられ、それがやたらと癖になります。明らかに私固有のツボだと思われる音楽性。だから手放しにはお薦めしないのです。
ジャパニメーション(英 japanimation)日本が他国へ向け最もアピールしているのがこのアニメションというジャンルではないでしょうか。『AKIRA』『攻殻起動隊』『人狼』など、素晴らしい作品がたくさんあります。特に『攻殻起動隊』などは、UKのテクノシーンからも熱いリスペクトを受けてるようです。私はこれ、原作共々大好きです。
ズーランダー (作品名 Zoolander) コメディー映画の最高峰です。どうやら万人受けする作品ではないようで、これは絶対に面白い、と薦めた友人の何人かは、いったいどこが面白いのか解らないといいながら、私が貸したDVDを返してよこしました。ジャケット裏のコピーにもあるとおり、笑いの種類としては『オースティン・パワーズ』に近いものがあります。しかし両作を比べると、私にはこの『ズーランダー』が格段面白く思えるのです。馬鹿馬鹿しいストーリーもさることながら、俳優一人一人の細かな表情がとても笑えます。カメオも豪華。嵌る人はモロ嵌ると思うので、騙されたと思い観てみましょう。ちなみに、作中で私が一番好きなキャラクターは、洗脳シーンで飴を舐めてるリル・クリータスです。ディレクもハンセルも面白いけどね。
ストロークス(グループ名 the strokes)まるで時代の、世界の音楽シーンの隙をついて表れたかのような、英国のギターバンドです。彼らはそのプロモーションの巧さ(下手さ)とともに、ほとんど狙いの定まらないというように感じられる音楽性が、かなり気怠げに心地よいです。サマソニのステージで、ジュリアンがゴーストバスターズのティーシャツ着てたり、アルバートのギターストラップが、お前それじゃ逆に弾き辛いだろ、と言いたくなるほど短かったりしてて、全部が彼らの狙いだろうとは解っていても、やっぱり『last nite』のPVはやたらとオモロかったりして、その術中からは逃れられないのです。
スティーブン・キング(人名 Stephen King)米国のホラー小説作家。多作な作家で、年間に書きあげたタイトルが多くなりすぎた場合には、R・バックマンという筆名で著作を発表したりしています。本人曰く、なんでも書くのを止めることが出来ないらしく、いちど止めたなら二度と書けなくなるのでは、という強迫観念に苛まれ、ライティングマシーンと化しているようです。私は彼の著作の内、恐らくその半数は読了しています。フェイバリットタイトルは『IT』。あと、『クージョ』も好きです。事故後あまりにも痩せ細らえてしまった彼がすこし心配です。


チャイム(作品名)ニ作目のウェブ掲載となった私の短編小説です。文体としても、小説としても、簡素で雰囲気の良いものをと心掛け執筆しました。この作もまだだまだ手を加えたいと思っています。小説と書き手の間には、一定の「寝かせ」期間が必要なのです。初稿脱稿 2001,11,19。約14000字。
著作権問題(用語)PCを用いたファイル共有ソフトなどが侵害するともされる問題。個人的には、購入に至らせるまでの作品を創りはじめて課金が成立する、というところにラインを引きたい。感動した映画は映画館で観ていようがファイル共有されていようが製品を手元に置きたくなる。私は自分の作品がいつか評価され、それが世に広まったとしても、製品を購入してくれる人と、購入ぜずになんらかの方法で読んでくれる人がいてもいいと思ってる。誰もが裕福であるというわけではない。同じ価格で売られていたとしても、個人物価というものはその環境でまるで違う。
ディオスコレア(科目)ヤマイモ科の植物で、この科のものに有り体なハート型の葉を蔓から開くアフリカの植物です。和名は亀甲竜といいます。原産地の気候にあわせ、日本に持ち込まれたものも六月頃には葉を落とし夏眠します。和名の通り亀の甲羅状にコルク質のイモを大きくしていき、なんとも格好の良いこのイモを見事な大きさにしてゆくことが楽しみになる植物です。
デッドライジング(作品名 deadrising)xbox360用のゾンビパラダイスゲームソフト。プレーヤーはフランクというスクープカメラマンとなって、ゾンビだらけのショッピングモールで三日間を生き延びなくてはならない。店内にある物で興味のわくような物はほとんど武器として使用することができ、またアパレル系の商品は着替えることができるのである。いちようケースと呼ばれるストーリーを追ったり、生存者を救出することもできるが、ショッピングモールで好き勝手にゾンビと戯れるのがおもしろいゲーム。ハードがスペックアップするにつれて、ゲームを紙芝居化してきた業界に嫌気がさしていた人には特にお勧め。逆にいうと、PS2のセールタイトルが好きな人にはお勧めできない。
デビルズ・ワルツ(作品名)このサイトの掲載作です。バイオレンスな表現を用いたので18禁にしておきました。悪くはないとは思うのだけれど、もう発展してゆきそうに思えないのでウェブ掲載にしました。こういった表現になったのは根源的なものに迫ろうという狙いのもとにあるからです。伝わらなければ意味無いけど。
テリー・ギリアム(人名 Terence Vance Gilliam)初期作、「未来世紀ブラジル」の評価も高い映画監督。近作ほど優れた作品が多く、「12モンキーズ」や「ローズ・イン・タイドランド」は特に素晴らしい。手法やアプローチの妙を感じ取らせる監督。ハリウッドを離れたこれからが、益々期待できる監督。
豆腐(品名)三十代に踏み込んだ頃よりハマリはじめた食品です。それ以前は、揚げ出し豆腐こそ好きだったものの、さほど気に留めることもない食品でした。しかし、元来薄味嗜好な私、このコクと喉越しに気がついてからというもの、毎日のように食べています。絹ごしより木綿が好きです。食べ方ですが、水を切ってから表面に食卓塩だけをまぶし、そのコクを味わいながら頂きます。一般的に正しいとされている、ショウガやネギ、鰹節などの薬味は、実はこのコクを損なわせてしまうのでダメなのです。男ならストレートでいきましょう。


ナイトメア・ビフォア・クリスマス (作品名 the nightmare before chtistmas) この作品で私が好きなのは、キャラクターと音楽、それと映像センスだけです。それだけで充分な映画だし、それだけでしかない映画だともいえると思います。CGアニメが主流となる昨今、クレイアニメでありながら、いまだ色褪せない魅力があります。私はDVDで持ってるんだけど、観る、というより、映像のBGMみたいな感じで、ダラダラ再生させてます。それがとても良い感じ。
ナイン・セフィラー(作品名)私の著作。携帯端末からも気軽に披読できるようにと鑑み、描写量を控えたショートショートです。しかしイメージはいまも私のなかで広がりつづけ、脱稿時には私自身満足の得られるものとなるでしょう。補足になりそうなので言及しませんが、タイトルには深い隠喩があります。初稿脱稿 2002,06,06 。約8500字。
納豆(品名)なんだか大豆からできるものはすべて好きなような気がしないでもない。真剣にかき混ぜると、かき混ぜるほど美味くなる。とくにジャスコで売ってる「水戸の味」というやつが美味い。肉嫌いな私の貴重なタンパク源。
のっこ(人名 Nokko)もとレベッカのボーカルです。私が自分で買ったはじめてのLP盤が、レベッカのものであったりもします。いまでもこのバンドが好きだという訳ではないのですが、彼女Nokkoが、ソロで発表した作品のなかには、いまでもときどき聴くものがあります。『わすれな草』『GO GO HAPPY DAY』なんてのは最高。彼女に提供される曲や詞には素晴らしいものが多いです。


ハーベイ・カイテル(人名 Harvey Keitel)自然体な演技が冴えるハリウッド映画俳優です。私の好きなタイトルへの出現率が異様に高く、とても他人とは思えません。主演より助演向きな気がします。意外とファンも多いのではと。燻銀。
バグダッドカフェ (作品名 bagdad cafe) 思い出が人の心にどのように刻み込まれてゆくのかを、まるで先廻りしてゆくかのような映像美。オープニングからラストまで、シークエンスの接合に、一切の乱れを感じ取らさせません。挿入歌『コーリング・ユー』の素晴らしい効果。また、情景を演出する色彩の妙。私はこの映画を一番好きなタイトルだとはいわないけど、作品として最も完全に近い映画をひとつあげろといわれたら、迷わずこの『バグダッドカフェ』をあげるでしょう。
腹筋(部称)腹筋を鍛えましょう。人間の呼吸や動作を支える大切な筋肉がこの腹筋です。六個に割れた腹筋なんて表現がよく用いられますが、しっかり鍛えると腹筋は八個に割れます。また腹筋運動そのものも内臓の鬱血や循環系の淀みや滞りを改善するので良いとされます。神話上の人々は男女問わず美しい腹筋をしています。メタボリックアンドローラだかなんとかにならないようにね。
バスケットボール(競技名)小学校のミニバスから、中退直前にこの部が廃部となってしまった高校一年までのあいだ、私はバスケットボール部に所属していました。私は中学卒業まで背が伸びなかったし、中学のチームは県大会まで進出するしとレベルが高く、レギュラーではありませんでした。だけどバスケは好きで、つい数年前までは、市営体育館を予約して仲間と楽しんでました。ああ、こんなこと書いてると、久々に思い切り汗かきたいです。スリー・オン・スリーで最低でも6人という人数が、なかなか揃わないのです。
バスフィッシング(用語)ブラックバスを釣ることを指します。通常ルアーで釣るのですが、ルアーにはゴムのようなソフトルアーと、バルサ材などで小魚を精密に模造したハードルアーがあります。釣果を期待するのならばやはり前出のソフトルアーです。しかし私の楽しみは技術でバスに勝つことにあるので、扱いの難しいハードルアーを使用します。数年前の渇水で、近場のポイントであったダムが荒れてしまい、私はここ数年、手軽な釣り場を失っています。独りで気紛れに興じるのが好きだったので、釣り場を求め、仲間と遠出するつもりもありません。ダムの湖面を見つめながら、私を覆う自然のなかに、私が音も無く溶け込んでしまうような、あの一体感が好きだったのです。
バター茶(品名)とくにチベタンが好きだという訳ではないけれど、けっこう呑むのがこのバター茶。作り方も簡単で、緑茶に適量の食卓塩、そしてバターを入れて攪拌するだけというお手軽さ。けっこう癖になる。ライティングのおとも。
バニラ・スカイ(作品名 vanilla sky)原作映画『オープン・ユア・アイズ』からにして素晴らしく、両作品ともに出演するペネロペも魅力的なこの映画が、トム・クルーズ主演、制作のパニラ・スカイです。作品全体が、非常に巧く構成されていて、前後感の曖昧な影像の挿し方、その不安定さが微妙な「揺らぎ」を生み出しています。それが観るたびに少しずつ作品の印象を変えるような、特殊な効果を創りだしていて、それだから繰り返しの鑑賞に耐える。サントラの選曲も素晴らしく、ストーリーとしては決して幸福感を産みだすようなものではないこの作品なのに、先に述べた影像の挿し方とともに巧く作用してすごく居心地のある作品に仕上がっています。でもradioheadの2曲は無理があるかな。これ観る前に聴き過ぎてる、てのもあるけど。
バンアレン帯 (用語 Ban Allen belt)アメリカの物理学者バン・アレンが存在を予言し、後に人工衛星により確認された、地球赤道付近を包む放射能極大領域。果たして人類はこの帯を抜けられるのでしょうか。アポロシリーズよりはるかにパフォーマンスの高いスペースシャトルが、衛星軌道周回ばかり繰り返すのは何故でしょうか。米国は速やかに月面着陸の真相を明らかにしなさい。怒んないから。
ビョーク(人名 bjork)ラース監督の『ダンサー・イン・ザ・ダーク』により、益々知名度の上がった女性シンガーです。私は彼女を女性としてではなく、なにか楽器のひとつでもあるとでもいうような感じに捉えています。空間に投げられたリボンのように曲線を描き翻る歌声。呼吸からマウスノイズまでが曲相に織り込まれてゆきます。また、『all is full of love』のPVが素晴らしい。未見のひとは是非。
降り注ぐ幻聴(作品名)私の長編小説です。幻想文学として初稿脱稿しましたが、現状ではイメージに筆力が追いついていません。初稿脱稿 2002,04,27 。約68000字。
ファースト(作品名)このサイトに掲載する予定で書き始めた小説です。書き始めた頃は20000字程度の短編を予定していましたが、現在は80000字、文学小説としては長編と称してもいいようなボリュームになっています。このサイトの掲載作とは比べものにならないクオリティーで書いているつもりです。納得のいくかたちで書き上がったら出版社に持ち込みます。ドイツの戯曲家の作品と似たタイトルですが、ぜんぜん関係ない。
プラネテス(作品名 PLANETES)原作はコミックであるが、NHKのアニメ化により素晴らしく内容が良くなった作品。作品はスペースデブリの回収屋から木星往還船の搭乗員になる主人公を描きながら、個人の葛藤、また、その他登場人物の背景やそれらの絡みまで上手くまとまっている。宇宙を描こうが戦国時代を描こうが、人物一人ひとりをしっかり書いたものが優れた作品になるという一例。音楽がまた素敵だ。素敵すぎる。
プリン周期(用語)プリンが食べたくなる周期のこと。月齢が人体に及ぼす作用と同じように、私に対し強い影響力を持つ周期です。上にホイップがのったやつじゃなくちゃダメです。ホイップとその上にモンブランのぐにゅぐにゅがのったのも好ましいです。食べない時期はまるで食べません。
ブロンテ姉妹(用語)英国の作家姉妹。『ジェーン・エア』を姉シャーロットが、『嵐が丘』を妹エミリーが世に遺しました。私は二作とも好きですが、特に『ジェーン・エア』が好きで、主人公ジェーンの女性像には心惹かれるものがあります。また、このころの英文学というのは、ディケンズなどもそうなのですが、文学に求められる表現性、思想性といったものと、一般小説に求められるエンターテイメント性といったものがまだ二極化されておらず、そういった両要素の混ざり具合が、私の欲求を充たしてくれるようです。近年の日本文学のように、日常の再現により微妙な人間模様を描くのもよいですが、私はそれだけでは充たされません。日常に深く接している人ほど、わざわざ書見でそれを得ようとはしないのではないでしょうか。今後、文学はどの道を歩むのでしょうか。私は違う道の人かも。
ベン・スティーラー(人名)彼をコメディー俳優というと失礼にあたるのでしょうか。なんというか、実際に面白いというか、面白くしようとする直向な姿勢が面白いという微妙な俳優です。私は日常でも、駄洒落を繰り返し強行する人とかに笑わされてしまいます。三回までならしつこいヤツですが、五回くらい繰り返されるとだんだん可笑しくなってしまうのです。一見道化じみた彼ですが、意外にも映画『リアリティー・バイツ』を監督していたりもします。地味に才能あり。全部計算ずくなんでしょう。
ベントナイトセフィラー(作品名)一時期このサイトに掲載していた私の拙作です。長編に書き直せそうな予感があり、また後半部が完成からは程遠いので、引っ込めてしまいました。はやく書き直したいけど、ほんとバイタリティー不足。


マイ・ブラッディー・バレンタイン(グループ名 my bloody valentine)通称マイブラ。んー、彼ら、新作はいつだすんだろ。『lovelees』聴いてると期待薄って感じです。ある意味到達しちゃってるし。そう何度も到達できる訳ないし。
マイケル・オンダーチェ(人名 Michael Ondaatje)美しい文章を書く作家です。詩的文体などと称されますが、センテンスの余韻などはまさにそのとおりです。私が思うに、美しい言葉を並べるのは誰でもできますが、美しい文章を書く、ということの難しさはその比ではありません。文章とは、あるいは詩とは、単語の集合体などではなく、読まれた瞬間だけに存在するメロディーのようなものです。彼の著作『イギリス人の患者』は、『イングリッシュ・ペイシェント』としてアンソニー・ミンゲラ映画化されました。良い原作は良い映画を産みます。画質さえ詩的です。
ミッドナイトラン(作品名 MIDNIGHT RAN)良友スコッセッシ監督には悪いですが、デニーロ主演作のなかで私が最も好きなのがこの『ミッドナイトラン』です。村上龍がその著作のなかで、誰でも、観れば必ず元気を取り戻せるという映画が一つくらいあるものだ、と語っていましたが、私にとってこの映画がまさにそれなのです。作中、逃避行をつづけるウォルシュとデュークのやりとりがたまりません。マービンも微笑ましいキャラです。私はこれからもこの映画に元気をもらうことでしょう。
ムーン・ウォーク(英 moon walk)一見前進しているように見え、その実後退しているという歩き方です。他者に後退していると悟られずに後退したいときに用いると効果的です。いまとなっては知名度の低いこの歩き方ですが、私たちの祖先である猿人が初めて二足歩行を用いたころより、歩行形態にこれといった進歩を見だすことのできなかった人類にとって、革命的であるとしても可笑しくはない歩行形態なのです。とてもアヴァンギャルドです。私としても、ちょとした用件で後戻りしたくなる内の20回に1回くらいは、さりげなくこのムーン・ウォークを用いることのできるような粋な男になりたいものです。
無神論(思想形態)はっきりと覚えていませんが、神の存在を真剣に考えたと思われる十代後半から、私は無神論者として生きています。私の場合、神という、我々人間意識の上位体そのものの存在を完全に否定するのではなく、その有無は問わずに、居ようが居まいが、どう信じて生きることに意義があるか、というオッカムの剃刀的選択のすえ無神論者でいるのです。私は知性体として発生した私たちには、自由意識こそが尊重されるべきだと思うし、意識それぞれに赦しや固定観念を与える、人外の監視者を求めません。近年人類には、内的理性、道徳観が十二分に備わってきていると信じていますし、これからも多くを間違えながら、どうにか少しずつ成長してゆけるように思えます。よって私の生き方には有神論は上手く作用しません。私が神を語る場合、それは必ずしも比喩のひとつなのです。
村上春樹(人名)なんだかんだ長編物はほとんど読んでます。いちばん好きなタイトルは『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』になりそうです。語りの強すぎる文章が退屈でまた表現の手段に強い力を感じることもないのですが、寓意を多く含ませた物語は素晴らしいと思います。こういうタイプがもっとも翻訳耐性に強いのでしょう。もちろん力量もありますが、こういったところも彼を世界作家としているところなのでしょう。
村上龍(人名)文学などという言葉に興味をもたない人でも、いちどは彼の著作になんらかのかたちで触れているのではないでしょうか。それが彼の強みです。私は彼の最近の著作を、どれも文学的には評価しせん。それでもあの饒舌的文章の上手さは否定できませんし、モチーフ選びの的確さも認めます。彼は現在、執筆ペースから考えても、文学というより寧ろ時代のスケッチを念頭に置いているように思えます。しかし彼の文学的功績は初期作、『限りなく透明なブルー』『海の向こうで戦争が始る』にあると思えるし、私はこの二作だけ別に捉え、リスペクトするのです。実は二作とも、私の小説文体に対する考え方に深く影響を与えた作品なのです。彼が晩年に腰を据えて書くであろう作品に期待。


吉田修一(人名)『パーク・ライフ』で芥川賞を受賞した作家です。近年の同賞受賞者のなかでは、飛び抜けて才能があると思います。内容的には、私が敬遠しそうな私小説的なものであり、これまた私があまり好まない近代固有名称の乱発などもあるのですが、それを用い得ているものの大きさが違うと思い、その全体的な完成度を高く評価します。ふとした切っ掛けで、明日からでも紛れ込みそうな日常を舞台に小説を書くのならば、この小説が探り当てているものほどの価値を負わせるべきだと思います。『東京湾景』は読んでて恥ずかしくなった。


ラブラドライト(品名)近年のパワーストーンブームのなか一番好きな石がこれです。インスピレーションを与えると言われている石で、ラブラドレッセンスと言われる独特の輝きを断層のように浮かび上がらせます。私は透明度と反射の強い石よりもこのようにそれぞれが個体差のある表情をもった石が好きです。オークションだと安く入手できます。
ラムシュタイン(グループ名 rammstein)音楽スジには多少白い目で見れれているようですが、抜群のエンターテイメント性が馬鹿っぽくもありまた格好よい、つまり馬鹿格好いいバンド。ジャンルとしてはインダストリアル系。ボーカルは水泳のもっとオリンピック代表。国語であるドイツ語の歌詞で歌い、英語主体の音楽界で、他国にもある程度認知されているという希少なバンド。歌詞はけっこう知的なんじゃないかと思うけど、よく解らん。速効性のある実用的なグルーブがいい感じ。
リズ・フェア(人名 Liz Phair)独特の音感をもった米国の女性シンガーです。なんだか気だるげに悩ましく、楽しそうに唄ってます。対訳を読むとかなりセクシャルな詞なのですが、英詞に日常語感をもたない私にとっては、無邪気な少女にも思えます。女性シンガーのなかでは、私の部屋聴き率で上位を占めるアーティストです。ちなみに私は、彼女とバースデイが同じ。
リドリー・スコット(人名 Ridley Scott)作画能力の秀でた映画監督です。フィッリプ・K・デイックの著作、『アンドロイドは電気羊の夢をみるか』を映画化した『ブレードランナー』は、いまでも近未来映画の金字塔として不動の地位をもちつづけているようです。その後しばらくのあいだ停滞期がありましたが、『テルマ&ルイーズ』あたりから調子を取り戻したらしく、近年では『グラディエーター』、そして『ブッラックホーク・ダウン』と快作を産みつづけています。私は彼の作品すべてに、構図と配色の美しさを感じます。その美意識に共感。
量子力学(用語)不確定性原理でいわれているように、粒子の、速度と位置の一方を正確に求めようとすると、どうやら対する一方の値が不確定になってしまうようです。よって、この粒子は、速度と位置の融合した量子状態にある、というのが定説で、量子レベルではその要素を確率でしか表せなくなるのです。こうなると、完全な数式により支えられる宇宙モデルは作れません。よって、万物の振る舞いに対する完全な予測は不可能、運命論が回避できるのです。科学はやがて哲学の分野に融合されるでしょう、まるでこの量子のように。
レディオヘッド(グループ名 rediohead)言わずと知れた英国ロックバンド。私は伝説の「2001/10/03 横浜アリーナ」、あの場に居た一人です。サマーソニックのまさかのクリープ、あのときも最前近くにいました。世界中から期待されまたリスペクトされる彼ら、いまだに成長を続ける音楽性がなによりも楽しみです。また、私は趣味のアコギ、彼らの曲ばかり弾き語ってます。静寂と混沌、自我と無我の交差する、美しい半音界。


和田ラヂヲ(人名)コミックで私の笑いのツボに最も近いのが、和田ラヂヲの作群です。私は、ことにこの笑いについては、何が何に捻ってある、というような、笑うべき部分の構造が解り次第冷めてしまうので、漠然と可笑しな雰囲気を作り出すものにしかコメディーを感じないようです。線が荒いのに、微妙な表情をも捉える彼の画法も好きです。

英字

D.J.サリンジャー(人名 J.D.Salinger)グラース・サーガと称される連作の途中で、突如筆を断ち、その後35年以上も沈黙をつづけている米国の作家です。このグラース・サーガとは、彼サリンジャーが、ケネディ暗殺事件で有名な著作、『ライ麦畑でつかまえて』発表の後に取り組んだグラース家をめぐる物語で、初期短編の登場人物とも深く関わりがあります。私はそのなかの『大工よ、屋根の梁を高く上げよ』に惚れ込んでいて、これこそが彼の才能のピークである、などと考えています。そしてこれを読む限り、グラース・サーガは素晴らしい連作として書かれるだろうというような、もはや意味のない期待感を抱いてしまうのです。同時に、真摯すぎる彼の小説観に、いわばよくゆわれる、「書けなくなる」ということの信憑性を感じるのです。
G・ガルシア・マスケス (人名 G.Garucia Maruquez)著作『百年の孤独』の好評によりノーベル文学賞を受賞した南米の作家です。この『百年の孤独』ですが、ブエンディア家を取り巻く様々な出来事を数代に亙り追う物語なのですが、登場人物の相関図など用い正確に読み解いたなら、恐らくは多くの不条理が見つけられるはずです。これは著者自身後書きで認めていますし、何気に読んでいた私ですら、なんだかおかしいぞ、と思う部分が幾つかありました。しかしこれは彼の作風ともいえるというか、その著作には、まるで土の匂いのする日溜りで老人の不確かな世迷いごとに耳を傾けている、といったような、どこか心地よい不思議な魅力があるのです。そして不条理をそれと決め付けたものかと躊躇う要素として、彼の作品は、多分にシュールレアリスムを用いている、というのがあるのです。
S・W・ホーキング(人名 Stephen Hawking)筋萎縮性側索硬化症によりほとんど自由のない肉体、そして医師に告げられた余命を遥かに超えて次々と学説を披露しつづける車椅子の天才物理学者です。彼の功績でもっとも有名なものは、これまで一切の闇であるといわれてきたブラックホールに、微かながら光を灯したことです。現在は虚時間の導入やブレーン解釈により、因果の終焉、特異点を回避するべく奮闘しています。アインシュタインの一般相対性理論などもそうですが、物理理論の解釈というのは数式に頼るものではなく、寧ろ概念に左右されない想像力が必要とされます。もちろん新しい理論の発想も彼ら物理学者の素晴らしい想像力によるものだし、それだからあまり数学の得意ではない私などでも、彼らが言わんとすることの雰囲気を掴むことができるのです。世界は魔法より魔術的な奇跡により存在を適えています。そしてそれに挑む頭脳が、車椅子に載った華奢な躰の上で、目まぐるしく宇宙を探りつづけているのです。
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